gesel's diary

万国のプレカリアート団結せよ 立憲民主党 社民党とれいわ新鮮組の力で変えよう

フランスの核実験

皆さま

急なお願いで恐縮なのですが、よろしくお願いします。
ガストン・フロス大統領宛に日本の団体や著名人(政治家、経済人等)の名前を連ねた公開書簡を

6月25日24:00まで!
フランスが太平洋、ポリネシアで行ってきた核実験の被害者を追悼するための記念碑が危機に!
95年にフランスが核実験再開宣言をした時には世界中から国会議員含め多くの反対する人々が集まったタヒチに(日本からは大蔵大臣も参加)、世界中の核実験場から追悼のための石を持ち寄って記念碑が作られています。もちろん、広島、長崎からの石も。

下にある、真下さんが作成された、ガストン・フロス仏領ポリネシア大統領への公開書簡に署名できる団体や著名人をご存知の方(またはご本人)がありましたら、各自打診していただき、団体名、個人名(個人の場合は氏名と肩書き:フロス大統領はあまり日本のことを知りませんので、肩書きが物を言います)を真下 俊樹さんメールアドレス: mashimot@gmail.com 宛にお送り下さい。


■オンライン署名(avaaz)もぜひお願いします。
日本語→ http://urx.nu/9zt2
英語→ http://urx.nu/9zt6
仏語→ http://urx.nu/9zte

金生英道(かのおひでみち)
原水爆禁止日本国民会議
〒101-0062 東京都千代田区神田駿河台3-2-11総評会館1F
TEL:03-5289-8224 FAX:03-5289-8223

〈お願い文〉--------------------

ガストン・フロス仏領ポリネシア大統領に対するフランス核実験被害者記念碑の取り壊し撤回と永久保存を求める公開書簡への共同署名のお願い(至急!)

タヒチのパペエテにある核実験被害者の記念碑が、右派のガストン・フロス仏領ポリネシア大統領によって取り壊されようとしています。

■すべての核被害者を記憶し、被害を繰り返さないための記念碑

この記念碑は、長年独立・反核運動に身を捧げ、2004年ついに仏領ポリネシア大統領となったオスカー・テマル氏が、任期中の2006年に、ポリネシアの核実験被害者団体のモルロア・エ・タトゥとともに建設したものです。首都パペエテ市の目抜き通り沿いの海岸公園のなかにありますが、この地区はかつて「ジャック・シラク広場(Place Jacques Chirac:1995年に世界の反対を押し切ってフランス核実験再開を強行したことでも有名)」と呼ばれていましたが、テマル新大統領はこれをモルロアでの最初のフランス核実験が行われた日にちなんで「1966年7月2日広場(Place du 2 juillet 1966)」と名付け、その40周年を記念して2006年7月2日に除幕式を行いました。

太平洋諸島には他の島を訪れる際に、訪問先への敬意と友情の印として自分の島の石を贈る風習があり、この記念碑には太平洋を中心に、核実験場となった各地の石が多数埋められました。2009年5月には、長崎県平和運動センターの奥村英二さんが、被爆者からの連帯の印として広島と長崎の爆心地で採取した石を寄贈し、それを設置する式典が行われました(写真参照:そのとき同行したNHK取材班が作成したニュースにも出てきます)。

■「観光再開発」名目に核実験の記憶と被害者運動の圧殺を目論む

2013年5月に再び権力の座を手にしたフロス現大統領(ポリネシアの大統領は議会が選出する間 接選挙で、不安定な政局から過去10年間に大統領が13回交代している)は就任後、「観光推進のためパペエテのウォーターフロント再開発」を打ち出し、本年6月11日、現在までモルロア・エ・タトゥに貸与されている海浜公園地区の一部の使用許可を撤廃することを閣議決定しました。同時に、記念碑のある地区の名称を以前の「ジャック・シラク広場」に戻すことも決めました。

自身を始め側近の公金横領や汚職が絶えず、「ポリネシアを私物化したフランスで最も腐敗した政治家」と言われてきたフロス大統領ですが、今回の決定の目的は、これまで傀儡政権の長として自分を寵愛し、核実験の見返りとして本国から潤沢な補助金を提供してくれたシラク元仏大統領に恩を返すだけでなく、自治権の拡大とともに補助金の減額が決まっているなかで、ポリネシアの数少ない産業のひとつである観光開発を進めるために、ポリネシアから核実験の禍々しい過去の記憶を消し去り、被害者を葬り去ることにあると思われます。

■核実験被害者だけでなく、若者からも反対運動

この決定に対して、ローラン・オルダム「モルロア・エ・タトゥ」代表は「1966年7月2日広場の記念碑はポリネシアの歴史遺産であり、今や世界的に知られている。『地域ボスの気まぐれ』で取り壊すなどもってのほか。ポリネシアにも根付いている民主主義はこの決定に強く反発するだろう」と抗議しています。

オルダム氏の予想どおり、フロス大統領の決定直後に、パペエテ市にある「フランス太平洋大学(Université française du Pacifique)」の学生が「ポリネシアの暗い歴史を葬り去ってしまうことは許されない」とネット上での呼びかけ、記念碑の保存を求める非政治的団体「プヒハウ(Puhihau)」が結成されました。プヒハウは6月22日(日)記念碑周辺での大規模デモを呼びかけています。ニュースの見出しには「反核運動、世代交代か?」の文字も見られるようになりました(このあたり、311後の日本を彷彿させます)。

また、ネット署名サイト www.avaaz.org 上でも国際的な取り壊し反対の署名活動が行われています(仏語英語日本語)。

■フロス大統領、あわてて代替地を提案

急速な反対運動の拡がりに驚いたフロス大統領は、6月17日になって、記念碑を取り壊す代わりにパペエテ市内ファーレ・ウテ地区にあるのフランス海軍基地正門前のロータリーに移設してはどうかと提案してきました。

これに対して、モルロア・エ・タトゥとプヒハウは「記念碑はあくまで現在の場所に永久保存すべき」として、提案を拒否しています。

―――

以上のような状況のなかで、ネット上での日本語による署名と平行して、直接ガストン・フロス大統領宛に日本の団体や著名人(政治家、経済人等)の名前を連ねた公開書簡を送って圧力を加えたいと考えます。

次ページの要請文にご署名いただけそうな団体や著名人をご存知の方(またはご本人)がありましたら、各自打診していただき、団体名、個人名(個人の場合は氏名と肩書き:フロス大統領はあまり日本のことを知りませんので、肩書きが物を言います)を下記メールアドレス宛にお送り下さい。

署名入りの日仏文の要請書をフロス大統領にメール(pdf)で送付するとともに、モルロア・エ・タトゥと相談して、フランスやポリネシアのメディアにも最も効果的なやり方で流します。

モルロア・エ・タトゥのジョン・ドゥーム事務局長によると、フロス大統領は自治権獲得記念日の6月29日の前に撤去したいと考えているそうですので、6月25日24:00必着でお願いします

― 真下 俊樹: mashimot@gmail.com

〈ガストン・フロス仏領ポリネシア大統領への公開書簡〉--------------------

ガストン・フロス 仏領ポリネシア大統領 殿
B.P. 2551, 98713 Papeete, Tahiti, Polynésie française

2014年6月24日

核実験被害者記念碑の取り壊しの撤回とこの記念碑の現在の場所での永久保存を求めます

私たち日本の市民は、タヒチ島パペエテ市1966年7月2日広場に現存する「核実験被害者記念碑」を貴殿が解体・撤去する決定を行ったことに強い憤りを感じ、その決定の撤回と記念碑の現在の場所での永久保存を要請致します。

この記念碑には、核実験場となった太平洋の他の島々の石とともに、広島・長崎の市民が原爆の爆心地で採集し、ポリネシアのフランス核実験被害者など世界の核の被害者への連帯の印としてこの記念碑に寄贈した石が安置されています。このことは、日本の公共放送でも報道され、広く日本国民の知るところとなっています。また、多数の住民を被曝させ続けている福島第一原発近くの石も近々寄贈されることになっています。

その意味で、1966年7月2日広場の核実験記念碑は、いまやポリネシアの歴史遺産であるだけでなく、日本を含めた世界の核被害者の「人類と核は共存できない」という思いのこめられた歴史遺産なのであり、世界がその保存を求めています。

日本の広島市内の中心部に原爆ドームというのが在ります。原爆の爆心地に位置していた原爆ドームは、原爆の危険性を表現する象徴的な存在です。この原爆ドーム一時期、壊してしまおうかという声が上がったことがありました。しかし、広島市民を始め世界中から寄せられた募金によって補修工事が行われ、永久に保存することが決まりました。1996年にはユネスコ世界遺産に登録され(「二度と同じような悲劇が起こらないように」との戒めや願いをこめた「負の遺産」として)、毎年内外から140万人以上の人が訪れています。原爆ドームなど原爆の残したものを取り壊し、見えなくしていれば、国際平和都市としての今日の広島はなかったはずです。

私たちは、パペエテの1966年7月2日広場につくられたあの小さな核実験記念碑も「ポリネシア原爆ドーム」となると信じます。すでに日本のピースボートは年1~2回、毎回約900人の日本人観光客を乗せてこの記念碑を訪れています。

核兵器をはじめとして、国家が起こした過去の過ちが、それを覆い隠し、忘れさせようとすることによって乗り越えられたためしはありません(愛する者たちの命を奪い、脅かすものをどうして忘れ去ることができるでしょう?)。過去の過ちを繰り返し思い出すこと、そして二度と同じような過ちを繰り返さないためには何をしなければならないかを考え続けることによって初めて、私たちはそれらを乗り越え、新しい未来への一歩を踏み出せるのです。それこそが、その地域固有の文化遺産と誇り、そしてアイデンティティの源泉となると信じます。

(署名)